山門の右脇に、レリーフ像をはめこんだ石碑が建っています。
この石碑は、幕末に横浜の開港を首唱した岩瀬肥後守忠震(いわせひごのかみただなり)の顕彰碑です。横浜郷土研究会有志により、横浜開港の恩人への感謝の碑として、昭和57年に建立なされたものです。
岩瀬忠震は、幕末に海防掛目付に任ぜられた後、外国奉行にまで出世し、開国論の中心的存在として活躍をした人物です。
日米修好通商条約においてはアメリカ総領事ハリスに対し、下田奉行井上清直と共に交渉にあたり、ハリスの要求した江戸・品川・大坂などの開港希望地をしりぞけ、幕府百年の計のためにと横浜の開港を首唱したのが岩瀬忠震でした。
その結果、1859年に横浜が開港し、発展めざましい今日の基を開くことになりました。
しかし、開港の前年に岩瀬忠震は左遷され、更には安政の大獄により永蟄居を命ぜられ、その後、1861年、44歳で忠震は江戸向島にてこの世を去りました。